絵本『すべては神様が創られた』第1刷あとがき

 2022224日ロシアがウクライナに侵攻しました。出口の見えない殺し合いが続いています。この絵本が世に出るころには停戦状態になっていること祈っています。絵本に込めた思いは、特定の国の応援ではなく「NO WAR―戦争を止(や)めろ」です。先日「日本人を含む志願兵がウクライナへ」との報道を目にしました。また、在日ロシア人への差別が起きているとのこと。「正義感」という人の思いを呑み込みつつ戦争は拡大していきます。

「それには乗るまい」と思いつつも「では、何ができるか」の答えを見出せないまま数日が過ぎました。せめて思いを表わそう、黙るわけにはいかないと「すべては神様が創られた」を書きました。「ことばにどんな意味がある」と問われると戸惑うしかない私ですが、その先に黒田征太郎さんが微笑みながら絵を描いておられました。黒田さんに励まされ、この絵本は完成しました。


 私はNPO法人抱樸(ほうぼく)理事長として貧困問題に取り組んできました。家が無い人には家を、仕事が無い人には仕事をと「自立支援」を実施してきたのです。しかし、アパート入居後、自室にポツリたたずむ人の姿を見た時に「自立が孤立に終わっている」という現実に気づきました。経済的困窮(ハウスレス)が解消しても社会的孤立(ホームレス)は、そのままである。この二つの困窮を同時に解決する必要がありました。

これらの活動は、直接的には困窮する個人に対する支援だと言えますが、それは同時に「平和を創り出す」ことだと私は考えてきました。

そもそも人はなぜ戦場にいくのでしょうか。誰も行きたくはない「あの場所」に若者はなぜ向かうのでしょうか。どれだけハイテク兵器を駆使しても、最後は歩兵が投入されます。人が人と対峙するのです。今回もそうでした。

つまり、いくら偉い人が「戦争をするぞ」と言っても、実際に戦場に行ってくれる人がいなければ戦争は出来ないのです。だから戦争をやりたい人は無理くり「食えない」状況をつくり出します。米国は1973年に徴兵制を終えていますが、その後もしばしば兵士を戦場に送り込んでいます。格差と貧困の大国は兵士の供給に事欠かないのです。「戦場で稼ぐしかない」という現実が戦争継続の背景にあります。「貧しさ」が戦争遂行の第一要素だと言えます。

ただ、それだけでは足りません。「貧しさ」と共に「さびしさ」が欠かせない。抱樸にたどり着く若者の多くが自分の存在意義を見出せずに生きてきました。「認めてもらいたい」「必要とされたい」。そんな思いが満たされないまま「自分は生きている意味があるのか」と自問しますが、誰も応えてくれない。そんな「さびしい」思いを引きずりながら、彼らは生きてきたのです。

そんな時、国家が「名誉」を手土産に「君の勇気が必要だ」と焚きつける。人は居場所と出番を求め戦場にさえ向かいます。しかし、そんな「危ない意味付け」に頼らずとも誰もが認められ、必要とされる社会があれば、誰が戦場に行くでしょう。ちゃんと食べることができ、目の前の人から「君が必要だ」と言ってもらえる社会があれば誰が戦場に行くでしょう。これまで抱樸で行ってきた「貧しさ(ハウスレス)」と「さびしさ(ホームレス)」との闘いは、この意味で平和への道だったと私は考えています。


この春、抱樸は新たな一歩を踏み出しました。「希望のまちプロジェクト」です。詳しくはHPをご覧ください。「戦場に行く必要がなくなるまち」。それが「希望のまち」であり、戦争に対する私たちなりの抵抗です。

戦争に良い戦争も悪い戦争もありません。戦争そのものが悪です。この機に乗じて核武装が必要などという妄言が出始めています。私たちはあの道を二度と歩むことは出来ないのです。

絵本の収益は「戦争被害者」への支援に充てられます。ウクライナ、ロシアの枠を超え、この戦争で傷つけられた人々に届けたいと思います。


最後に、構想から一カ月足らずで発行に至りました。ご協力くださった多くの方に感謝します。この絵本が人と人の思いをつなぐ役割を果たすことを願います。

戦争が一日も早く終結し、世界が「最も大切な事実」に立ち帰ることを祈っています。

次のページは「黒田さん流あとがき」です。素敵です。


2022322

認定NPO法人抱樸 理事長

東八幡キリスト教会 牧師

奥田知志

あの日書いた言葉は、どこから来たのか

奥田知志

2022年2月24日。戦争が始まった時、私の中に響いていたのは「オバアたちのことば」だった。オバアのことばに押し出され『すべては神様が創られた』は生まれた。

1995年9月4日沖縄県に駐留するアメリカ兵3名が、12歳の小学生女児を拉致し集団で暴行する事件が起きた。沖縄は大きな怒りと悲しみに包まれた。

事件後、女性たちの抗議集会の様子が報道された。集会所に集まった女性たちは怒りの声を上げていた。少女が受けた傷。沖縄が背負わされてきた不条理。テレビの画面からも怒りが伝わってきた。27年前のことなので記憶は曖昧だが明確に覚えていることがある。集まったオバアたちが掲げた横断幕に「米兵よ、お前たちはケダモノになるな」と書かれていたことだ。私は、この言葉に「怒り」と共に、もう一つの叫び、いや「呼びかけ」があるように思えた。米兵がやったことは「ケダモノ」の仕業に他ならない。いや、それ以下だ。オバアたちは「お前たちはケダモノだ」と怒りの声を上げつつも、「お前たちはケダモノになるな」と呼びかけていたと思う。

オバアたちは言う。「お前たちは、ケダモノではない。人として生まれたのだ。母たちは、お前たちをそんなことをするために産んだのではない。ケダモノになるな。人として生きなさい。人の尊厳と誇りを捨ててはいけない」。あの日、震えるような怒りの奥に、そんな「呼びかけ」、あるいは「さとし」を聴いた気がした。オバアたちは「戻っておいで。そっちに行ってはいけない。それはケダモノの道だ」と言いたかったのだ。当然、赦しているわけではない。しかし、あのことばにはある意味「出口」というか「希望」が示唆されていた。

絵本『すべては神様が創られた』は、本来「人とは何か」について書いた。神様は世界を、自然を、そして人をなんのために創られたのか。ここにおける神様は、キリストさまでも、お釈迦様でも、アッラーさまでもなんでも良い。黒田さんは「僕は自然が神様です」と言う。それで良い。問題は、今の世界が「本来の世界」からずいぶんと「ズレ」てしまっていることだ。ロシア兵も、ウクライナ兵も、一旦立ち止まって考えてもらいたい。「人とは何か」を。いや、世界中が考えるべきなのだ。私たちは、ケダモノではないし、そんなことをするために生まれたのではないということを。

「子どもたちよ、戻っておいで、私はそんなためにお前たちを創造したのではない」。オバアたちの嘆きに重なり、神様の嘆きが聴こえる。それでも世界がその声を聴く日は近いと私は信じている。だからあの絵本のことばを書いたのだ。

征太郎さんのアトリエにて

鳥などの絵について

谷瀬未紀(制作)

絵本をつくるなんて初めてだったのに、とにかく「すぐに」発行して寄付につなげなければと、焦る思いで征太郎さんのアトリエに向かったのが2022年3月10日。「描きおろしは1枚でも構わないので」と無理なお願いをした。征太郎さんはたった3日で10枚以上の画文を描いてくださり、過去の作品も含めて20枚をお預かりした。それは「戦争」を真っ向に睨んだものだった。もう充分ありがたいことだったが、加えて私は、征太郎さんの愛に溢れる作品もこの絵本に入れたかった。NO WAR とは、つまるところ「愛」だからだ。

そこで、昨年7月に征太郎さんのアトリエ開きとして催したライブでの作品の数々を思い起こした。それは音楽家の谷本仰さんの演奏で征太郎さんがライブペイントしたもの。「あの時の作品も預からせて欲しい」。そうして合計54枚もの作品を受け取り、絵本の制作が始まった。

ライブペインティングの「絵」には、演奏の「音」が宿る。谷本仰さんのヴァイオリン演奏の、明るさ、寂しさ、やさしさ、愛らしさが、そこここに線となって色となって現れる。なので(説明がややこしいのでクレジットはしなかったけれど)そこでの作品は「黒田征太郎と谷本仰の合作」なのだと理解している。種明かしをすると、表紙、本表紙、P3、P12、P18、P20、P28、P41、裏表紙見返し口絵、が2021年7月ライブで生まれたものです。

谷本さんも征太郎さんも、ずっとずっと平和のことを考えて生きてきていることを知っているから、この作品たちによって絵本『すべては神様が創られた』を息吹かせられたことが、本当にしっくりと嬉しい。
だから、発刊記念ライブは当然、谷本仰さんの演奏でした。

ライブで描かれた作品